振り返り記事
公開日:2024年8月2日

マーケティング戦略理論講座 流通分析 日本型流通システムと流通構造の変化 振り返りレポート

目次

『マーケティング戦略』(有斐閣アルマ)を教科書に用いた連続講座の第8回です。
マーケティング従事者がおさえておくべき基本理論について、本書の各章ごとに解説します。

今回の対象範囲は以下のとおりです(第Ⅱ部 第7章)。

▼今回取り上げる内容
・日本型流通システム
・わが国の流通構造の変化
・流通取引関係

具体的な解説は本書に譲るとして、おさえておくべき内容を中心にまとめました。

売上を左右する大きな2つの要素である「買い求めやすさ(フィジカルアベイラビリティ)」と「想起されやすさ(メンタルアベイラビリティ)」において、流通は前者に直結します。フィジカルアベイラビリティが高ければ高いほど、売上に貢献しやすいと言えます。

多くのマーケティングコミュニケーション担当者にとって身近ではないかもしれませんが、流通を理解することは、マーケティングの解像度をより一層高くし、戦略の実現性を高めることに直結すると言っても過言ではありません。

今回は日本の流通がどのような歴史をたどってきたのかを中心に、過去から現在に起こった出来事や、それぞれの因果関係、なぜそうなったのかなどを中心に解説します。

マーケティング戦略〔第6版〕 (有斐閣アルマ) 和田 充夫 (著), 恩藏 直人 (著), 三浦 俊彦 (著) Amazon.co.jpで購入する

日本ならではの流通特性

諸外国から見た日本の流通システムは非常に特殊であると言われます。教科書にも「過多性」「零細性」「生業性」などが触れられており、小店舗を守るための規制(大型店舗を規制する法制)が敷かれ、生産性が低いことが指摘されています。

なぜこのような特性が日本にあるのかを理解することは、日本の流通についての解像度を上げることにつながります。

日本は明確に四季がある島国であり、可住地が多くありません(領土の30%)。その一方で可住地は分散し、人口も分散しています。そのため食文化が地域によってさまざまであることも特徴です。これらの特徴が、先述のような流通の特殊性につながっています。

まず、島国であることから日本は漁業がさかんです。古くから新鮮な魚をそのまま食す文化があり、魚だけでなく肉や野菜にも新鮮さを求める国民性があります。現在は輸送技術が発達したことによって、全国各地で捕れた新鮮な魚がどこでも容易に手に入るようになりましたが、かつて冷凍・冷蔵技術が発展途上だったときも、いかに早く・遠くまで新鮮な食品を届けるかどうかに多くの人の心血が注がれていました。旬の素材が大事にされるように、四季の食べ物を重んじる国民性も特徴的です。

可住地が少ないのにもかかわらず、日本の人口は各地に分散しています。鉱工業化が進むまでは多くの人が第一次産業に従事していたため、自産自消が当然でした。旬のものを鮮度の高い状態で手に入れたい・食べたいという気持ちを叶えるには、家の近くに小売店が必要です。流通特性の一つ「過多性」はこのような文化が背景にあり、全国各地に生鮮食品を販売する店舗が存在するに至りました。

以下の図は1972-1976年の「都市別卸売業・小売業販売額」を表しています。

山間部を除き、多くの地域で売上があることがわかります。つまり、卸や小売店が日本各地に分散しているということです。第一次産業が各地域で行われ、それぞれの地域で新鮮なものを食すことが、過多性や零細性、生業性につながっている要因であると言えます。

また、可住地と小売店の分散は、地域ごとの食文化の違いを生み出しました。たとえば、関西と関東のダシの濃さの違いなどが挙げられます。また、自産自消が当たり前で、旬のものを鮮度高く食べたいという国民性によって、同じ日本という国なのに全国チェーン展開を行っている小売店であっても、品揃えがまったく違うという事実につながっています。この点は、ウォルマートなどの海外資本が日本に参入する際の大きな参入障壁となりました。

ピーク時には172万店あるといわれていた小売店舗数も、現在は減少を続けており、それは大型店も例外ではありません。その一方で、売り場面積は広がり続けていることから、店舗の超大型化が進んでいることがわかります。

マーケティングと流通構造の変化

次にマーケティングの変化の歴史と合わせて、流通構造の変遷を確認してみましょう。

商店街の全盛時代は1950~70年代だと言われています。第二次産業が1950年代から急発展すると、生活のために工場勤務をする人が増加します。第一次産業の頃はそれぞれの地域で第一次産業を営み、自産自消を行っていましたが、各地域から労働者が都市圏に集まるようになっていきます。その結果起こったことが、核家族化です。両親と子どものみの家庭が増加し、女性の社会進出が本格化し始めました。

この頃の生活を支えた商店街は、肉は肉屋・野菜は八百屋のように、専門店が一つの地域に集まっていることが特徴です。対して、GMS(「General Merchandise Store(ゼネラルマーチャンダイズストア)」の発展は、一つの店舗でなんでも揃うというワンストップショッピングを一般化させました。この頃の代表的なGMSはダイエー、西友、イトーヨーカドーなどです。長時間滞在させることで売上を増やすという考え方が普及しはじめ、一日中デパートに滞在してもらうために屋上に遊戯スペースが設けられたのもこの頃です。

核家族化が進むと世帯が増え、家を買うことは一国一城の主になることを表したこの時代は、土地のない都市部ではなく地方近郊への移住を促進し、利便性を向上させるための鉄道延伸の開発や、駅周辺の開発も進んでいきます。これはドーナツ化現象と呼ばれます。

モータリゼーションの進展とドーナツ化現象が進むことで、車で行けるロードサイドなどでの買い物需要が高まり、中心市街地の商店街は危機を迎えます。商店街にある零細店舗を守るために、大規模小売店舗法(大型店舗の出店規制)が行われます。

そして、ワンストップショッピングの波に逆らうように、各カテゴリーにおける商品の選択肢が増えたことで、カテゴリーキラーが1980年代に誕生します。カテゴリーキラーとは、GMSにおける一部のカテゴリーのシェアを奪うことに特化した専門店のことを表し、業態は家電量販店を始めとし、紳士服、服飾、靴、玩具、スポーツ用品など多岐にわたります。

1973年に大規模小売店舗法によって大型店舗の出店規制が行われましたが、海外企業からの外圧に応えるかたちでまちづくり三法が施行されました。このことによって、大規模な店舗が日本でも増加したという歴史をたどっています。

「そうは問屋が卸さない」の語源とされる卸のパワー

日本の流通においては、卸(問屋)の存在感が強い時代が長らく続いていました。W/R比率(卸売段階における多段階性を示す指標)は、しばらく日本は諸外国に比べてかなり高い数字でした。つまり、メーカーの製品や農林水産品が小売店に並ぶまで、かなり多くの卸が介在していたことを示します。

「そうは問屋が卸さない」という言葉があるように、かつて卸売は巨大な力を持っていました。先述した理由で日本の小売店はかなりの数があったことや、新鮮なものを求めるという国民性からも、小さな生産者と小さな小売をつなぐ卸の存在が欠かせなかったのです。

卸は「需給調整機能」「助成的機能」「市場移転機能」など社会的に意義のある役割を果たしていました。一方で、メーカー・小売店ともに巨大化したことで卸の機能が不要になりつつあることから、日本における卸の影響力は下がり、W/R比率も現在は諸外国とそう変わらない値となりました。これは、卸の多段階制が解消されつつあることを示しています。

家電メーカーを中心とした流通系列化の流れ

メーカーが巨大化し、高度経済成長期において「作れば作るだけ売れる」時代において、日本は流通系列化が加速します。これは家電や自動車メーカーで特に顕著でした。流通系列化が進んでいたのは以下の図の時代です。

高度経済成長期においては、「モノを作れば作るだけ売れる」時代であったため、メーカーにとって不足してたのは売り場でした。そのため、自分たちの商品を販売する小売店を全国に増やし、地域の人たちに買ってもらおうと考えたのです。

流通系列化においては、メーカーが自社の商品を買ってもらうことを目的としたため、当然ながら店舗では自社(単一ブランド)の商品しか取り扱いません。各メーカーが系列化した地域の小売店同士を競争させ、その店舗にメーカーが商品を卸していくことで、どんどん売上が上がったという時代でした。営業が重要な役割を果たしており、商店街における店舗をいかに自社の系列にしていくかでメーカー同士はしのぎを削っていました。

しかし、商店街の衰退とGMSの隆盛、さらには家電量販店の勢力拡大によって、家電メーカーの流通系列店経由の売上は急激に鈍化します。家電量販店は多くのメーカーの家電を大量に仕入れるため、系列化した店舗よりも安い金額での販売が可能となります。しかも店舗で様々なメーカーの商品を比較できるため利便性も向上し、一つのメーカーの商品しか取り扱っていない系列化された店舗では立ち行かなくなってしまったためです。

また、建値制の存在も流通系列化の時代に終わりを告げた一つの要因だと考えられます。建値制とは、メーカーがそれぞれの商品分野について、メーカーの仕切価格・卸売価格・標準小売価格を指定し、このような価格体系をベースとして、卸店や小売店に販売実績に応じた各種リベートを支払う制度のことを表します。

仕入れたものをいくらで売るのかは小売店の自由です。しかし、小売店によって価格を安易に下げられるとメーカーにとってはブランド毀損につながることから、メーカーが小売店の販売価格を実質的にコントロールする代わりに、小売店が売れば売るほどメーカーからリベートを支払うという制度が一般化しました。

しかし、独占禁止法では、再販売価格維持行為を厳格に禁じていることからも、新製品を「釣り」商品として定価より安く売り、商品を販売したときの利益よりもリベートで儲ける方法を取る量販店も現れました。

当然ながら大量販売が叶わない商店街の流通系列化された店舗は、商品の利益度外視でリベートで儲けを得ることもできずに、現在は立ち行かなくなってしまい、流通系列化の解消が進んでいます。

チャネルリーダーの変遷

チャネルリーダーとは、メーカー・卸・小売店のうち、影響力がもっとも強い存在のことを表します。このチャネルリーダーは卸→メーカー→小売の順で変化しています。

生産者も小売店も小さく、分散化していた時代は卸がもっとも大きな影響力を持っていました。そこから鉱工業化が進み、近代化が進むことで「作れば作るほど売れる時代」は、どれだけ多くのアイテム数・ライン数の商品を取り揃えることができるかが重要だったため、メーカーが大きな力を持っていました(だからこそ「家電を売りたい」と考える小規模店舗は特定メーカーの系列店になりました)。

商品の種類が豊富になり、生活者から見た違いを識別することが難しくなった今、「そもそも取り扱ってもらえるか」「いい位置に棚を取れるか」が売上に直結することや、小売店しか持ち得ない購買データを持ち、購買データと個人を紐づけて分析できる小売店がもっとも力を持っています。この小売店優位の時代は、当面は変わらないと考えられます。

まとめ

  • 日本ならではの流通特性は「過多制」「零細制」「生業制」「多段階制」がある。これらは日本の食文化や居住地の分散などに起因したもの
  • 小売店は減少を続けており、新規出店数も増えない一方で、売り場面積の拡大は続いている。このことは超大型店舗が増加していることを表している
  • 産業構造・人口動態の変化によって、生活者の生活スタイルや購買行動スタイルは変化を続けている。特に影響を受けたのが商店街であるが、商店街を守るための法律が施行されたものの、商店街の衰退は止まることなく大店舗化は進む一方である
  • 小さい生産者と小さい小売店をつなぐ卸は数百年にわたって大きな影響力を持っていた。流通の多段階制を示すW/R比率は諸外国より高い数値を出していた日本だが、現在は諸外国と変わらない基準となりつつある(卸の多段階制が解消されつつある)
  • 作れば売れた時代において、売り場の確保が課題だったメーカーは商店街の店舗を自分たちの系列に加える「流通系列化」を加速させた。しかし、商品同士の違いが知覚しにくくなるコモディティ化や、カテゴリーキラーの隆盛、建値制によるリベートの存在などによって流通系列化は立ち行かなくなった
  • メーカー・卸・小売のうち、もっとも影響力が強い存在のことをチャネルリーダーと呼ぶ。チャネルリーダーは卸→メーカー→小売の順で変化しており、競合よりも棚をいかに確保できるかが重要になったこと、小売しか持ち得ない購買データの存在があることからも、現在は小売がチャネルリーダーであり、この力関係はしばらく変化しないと考えられる

アーカイブ動画と講座資料

ログインして講座の動画を試聴する
ログイン
アカウントをお持ちでない方は
無料で会員登録

この記事の学習コンテンツ

講座
マーケティング戦略理論講座 流通分析 日本型流通システムと流通構造の変化